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4月10日成城統一教会説教、「記憶に残しておきたい一日」

2011年4月10日、成城統一教会礼拝説教、「記憶に残しておきたい一日!」

聖書:コリント人への第二の手紙11.23-27
「彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。」

「十分の一の由来説明」
・申命記14.22~28
・マラキ書4.10
「私の宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いてあふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。」


今日は「記憶に残しておきたい一日!」の題で申し上げたいと思います。私たちの長き人生において、今残っている覚えはどういうことでしょうか? 今日は、わたくし自身の体験も交えて、大体こういう事が我々の記憶に長らく残っているかなと思います。

1.親から愛された日、家族と楽しかった日
2.心の友と夜通しで想像の翼を広げ話ができた日
3.自分の限界を超えるために自分に挑戦した日
4.み言に出会って感動した日
5.神様、真の父母様の心情を身で実感した日
6.夫婦が夜を明かし深い会話ができた日
7.素晴らしいお天気や景色を見た日
8.断食で体の限界を超えて神秘な力を体験できた日
8.最善を尽くして充足感で満たされた日
9.暑さと寒さに耐え伝道任地を愛し、否定受けた時と日

人生の中で色んな体験、思い出が残るでしょうが、真理を実践し伝えて行く、伝道者におきましては、やはり、伝道任地に行って、殆ど歓迎してくれる人のいない中で、色々の冷遇を受けながらも、自分に負けずに、良き印象を与えながら歓迎されて行く瞬間瞬間は我々の人生・霊人体にもっとも長らく残る記憶になるでしょう!!




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[ 2011/04/20 23:11 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

4月3日、成城統一教会説教、「決死報恩」

2011年4月3日、成城統一教会の説教は「決死報恩!」で語りました。

訓読み言:「天聖経:真の孝の生活-第2章、真の忠孝」
・ 神様は孝子を願いわれません。孝子の家庭を願われます。忠臣の家庭を願われたということを知らなければなりません。聖子の家庭を願われました。(98.11.20、P2291)

・ 孝子は、父母が生きている時に孝行しなければなりません。忠誠も、国王が生きている時に尽くさなければなりません。死んだあとでは、千万倍の孝行も無益であり、千万回の忠誠も無益です。そのようにする者は、ずる賢い者たちです。死んでから大きな祭祀の膳を捧げるよりも、生きている時に一言でも慰労するほうが勝っているのであり、自分が悲しみの相対となって、その心を慰労することのほうが、千万種類の食物で整えられたその祭壇よりも美しいということを知らなければなりません。死の道を追慕しながら行く人よりも、その死の道に行く前に、目的のために行く人のほうが貴いのです。(72.9.10、P2292)

・父母が、この道は死んでも行かざるを得ないということを本当に知ったならば、子供を神様のところに連れて行かなければなりません。父母の使命を果たすことができなかったのは、知ることができなかったからであり、知ったならば、祭物としてでも連れていかなければなりません。むちで打ったとしても、それは善です。ですから、先生は、「父母が正しく立っていさえすれば、子供が救われないことはない」と言います。もし父母に対して不孝者がいるとすれば、追い出してしまいなさい。そして、父母に孝行する者を自分の家に連れてきて、養子として立てなさい。(65.10.9、P2294)

今日は、第52回の真の父母の日、最初に中国の「春秋左氏傳」で伝わる、結草報恩の由来を紹介します。中国の春秋全国時代(BC1100 ~376年)の 晋の国に、魏武子が病になり、息子魏顆に自分が死んだら美しかった後妻を再婚させ殉死から免れるようと遺言しました。しかし、 病が悪化された魏武子は混迷になり、後妻を自殺するようして一緒に埋蔵して欲しいと遺言を繰り返しました。魏武子の死後、息子魏顆は2回目の遺言に従わず、義母を再婚させて殉死から免れさせてあげました。数年後、魏顆が戦争に出て、秦の杜回と戦が起こり、危険な瞬間にさらされた時に、義母の亡き父の亡魂が出て来て敵軍の道に草を結んで置いて、杜回の馬が倒れるようにして、杜回を掴むようにして、娘を生かしてくれた恩に草を結んで報いたという事で、「結草報恩」が伝わります。

この「結草報恩」から今日は「決死報恩」という題でお話し致します。真の父母様の教えの中に人間は3大父母を迎えているとあります。
第1父母は、私を生んでくださった肉身の親であり、
第2父母は、私の生命を養う大地の母であり、
第3父母は、我々の永遠の父であられる神様です。

我々は肉身の親の完全なる愛と犠牲のよって生まれ、育てられましたので一生、生きながら肉身の親の恩に無限に感謝すべきなのです。健康に生きながら、円満な家庭を築き、離婚せず仲良く睦ましく暮らす姿を見せ、親が孫を可愛がってくださるように生きて行って、できれば、より活躍できる子供に育て、両親が「誰々の家系の子孫が素晴らしい!」という生き甲斐を感じるようにして差し上げるのがもっとも素晴らしい恩返しでしょう。

2番目は、大地の父母への恩返しです。太陽の日差し、空気、水、食物、動物などは我々の無限のエネルギと生命力を与えてくれます。ある面、自分が犠牲になりながら人間を活かしてくれています。野菜や魚、動物や自分が完全に死んで、人間に食べさせられます。完全に犠牲になって、人間を生かしてくれることなのです。ある面、人間の体は「鉱物や動植物の死の塊」で出来ていると言っても過言ではありません。ゆえに、私たちは大地が生んでくれた総てのものに無限に感謝して、もっとも大切に、感謝して愛で使って挙げたり、私に摂取された、万物が生き甲斐を感じるように、美しい素晴らしい生き方で、恩返しをして上げなければなりません。そうしないと、私の体はやられ病になるかも知れません。

3番目は、我々の霊魂を永遠に導いてくださる、真の父母様・神様への感謝の報恩をして差し上げることです。肉身生活は限られています。我々はいつか、永遠の世界に行きます。今日も、神様・真の父母様は、私たちの魂、霊人体を永遠の天国生活に導いてくださるために、精誠の限りを投入されながら、一寸も惜しまずに、精誠の道を歩んでおられます。幾たび死すとも、真の父母様、神様の恩恵に報いて差し上げることが難しいことでしょう。

娘の命を救ってくれた魏顆のために、亡くなった父の霊魂が現れ、草を結んでくれて、命の恩人を救ってあげたように、我々は肉身の親と大地・自然の親と永遠の親であられる神様・真の御父母様のために、命をかけて親孝行、物を誰より大切にし、報恩して行くのが、我々人生の宿命の道なのです。
ありがとうございました。



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[ 2011/04/20 23:09 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

3月27日成城統一教会礼拝、「愛国の精誠の道!」

2011年3月27日の成城教会の礼拝では、「愛国精誠の道!」で語りました。

東北大地震で、犠牲になられたお二人を紹介しました。

1.宮城県名取市の消防隊員「桜井歩(47)氏」は同僚2名と消防車に乗って町を回りながら最後まで避難を訴えた。津波の怖い音が近づいてきて、自分たちも現場から逃げないといけなかった。しかし、彼は“もう少し、もう少し”を心に叫びながら、避難勧告放送を止めなかった。

2.岩手県山田町の総務課職員佐々木政良(37)氏の話しを伝えました。広報担当の公務員として、13日まで記録写真とりで忙しく、後に家族に行って見たら、妻、二人の娘、姑さんが流されて、犠牲になっていました。棺に4ヶ月の娘と妻は一緒に入れて、最後を見届けました。生きる意味を失い、自殺まで考えたそうですが、母親の説得で仕事に戻りました。

2011年の意味合いとして、救いと裁きが共に存在する年ですので、義人として生きて行かないといけない。義人と言うのは純潔人を意味する。国が大変中にあるので、私たちも節電、節水、慌てない、譲り合い、より可愛そうな方々のための祈りをしながら、11年を勝利的に歩んで行きましょう!
[ 2011/04/20 22:35 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

3月20日成城統一教会礼拝、「文孝進様追悼本部礼拝」

2011年3月20日の統一教会礼拝は、「文孝進様昇華3周忌記念礼拝」として、文亨進世界会長を迎えて、全国合同礼拝として行われました。

1部:文孝進様への献花、追悼映像上映、崔ヨンア二ムの挨拶
2部:文亨進世界会長の説教
3部:聖霊治癒礼拝。

文孝進様の幼い頃からの映像を見ながら、どれほど苦難の道を行かれ、真の御父母様の前に絶対的な忠孝の道を行かれたかを心深く理解する事ができました。




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[ 2011/04/20 22:28 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

3/6、成城統一教会の説教「愛天、愛人、愛国の道を行こう!」

2011年3月6日(天暦2月2日)の成城教会での礼拝では、「愛天、愛人、愛国の道を行こう!」の題で語りました。3・3大会のまとめ報告、聖書の著者について、天福函の摂理的意義、会議でのみ言などを報告しながら、進めました。参加してくださった、食口の皆様に感謝もうしあげます。

・本文:天聖経「真の神様の祖国光復:天宙は私の故郷と祖国」
「真の愛は投入する力です。与える力であって、受けることのみをする力ではありません。すべてを与え、零点(ゼロポイント)の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には何が入ってきてもOKです。それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重され永続することによって、永遠なる均衡がなされるのです。それゆえ、真の愛を中心に「ため」に生きる世界は、授受作用を通して完成されるのです」。(P2239)

「神様は宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして完全投入することを言います。このように投入しては忘れ、投入して忘れ、最後には自分という概念まですべてなくなるゼロ・ポイントになるのです。愛を否定されてももっと愛し、投入してももっと投入してこそ、恩讐を真の愛で自然屈服させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んでこられ、天地父母がそのような道を歩んできたのです。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でもおじいさんおばあさんなど、十人の家族が暮らすとしても、最も「他のため」に生きる者が家庭の中心となるのです。国において、愛国者も同様です。投入して忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです」。(P2242)



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[ 2011/03/11 06:11 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)