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成城統一教会礼拝説教、「私は誰なのか?」

2010年2月28日(天暦1月15日)、成城統一教会の聖日礼拝説教文です。
題目:「私は誰なのか?」

1.サタンの子から復帰された人間であることです。
(1)原理講論「堕落論」(P115)
「ヨハネ福音書8章44節を見ると、イエスは、ユダヤ人たちを「悪魔から出てきた者」と言い、またマタイ福音書12章34節、同じくマタイ福音書23章33節においては、彼を「へびよ、まむしの子らよ」と言われたのである(マタイ3.7)
(2)天聖経「罪と蕩減復帰:1悪魔サタンが私たちの父」(P1225)
ローマ人への手紙第8章を見てください。「御霊の最初の実をもっているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがめられることを待ち望んでいる」(23節)とあり、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(15節)とあります。養子にしかなれないのです。キリスチャンたちは養子です。養子は血筋が違うのです。

2.復帰摂理歴史の使命者として召されたということです。
・原理講論:復帰原理緒論(P287)
「『私』という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、「私」はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない『私』なのである。それゆえに「私」は歴史の目的の中に立たなければならないし、また、そのようになるためには、復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を『私』自身を中心として、横的に立てなければならない。そうすることによって、初めて『私』は復帰摂理歴史が望む結実体として立つことができるのである」。

3.イエス様の食口にならねばならない存在です。
・聖書「マタイによる福音書12.47」
「それで、ある人がイエスに言った、「ご覧なさい。あなたの母上と兄弟たちが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「私の母とは、誰のことか。私の兄弟とは誰のことか」。そして、弟子たちの方に手を差し伸べて言われた、「ご覧なさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。(誰でも)天にいます私の父の御心を行う者は(が)誰でも私の兄弟、また姉妹、また母なのである」。(マタイ13.55 母はマリヤといい、兄弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか)イエス様が、真に心を理解する家族がいなかったのです。

4.天宙の中心・天宙の総合実体相・万物の主管主として立てられたということです。
(1)四位基台の存在様相
「形状的中心(肉的関係):人間を中心として物質世界関係結び、存在価値発揮する、全てが人間に吸収される。性相的中心(霊的・精神的関係):人間の生理的機能が心の知情意に共鳴されること。森羅万象は知情意の感応体、自然界の美に陶酔されること。神と人間が一体化したところ⇒天宙の中心」
・アダム:主体的ものを総合した実体相、エバ:対象的もの総合した実体相。⇒天宙の総合実体相
(2)間接主管圏(P79)
「人間がそれ自身の責任分担を完遂して初めて完成されるように創造されたのは、人間が神も干渉できない責任分担を完遂することによって、神の創造性までも似るようにし、また、神の創造の偉業に加担させることによって、ちょうど創造主である神が人間を主管なさるそのごとくに、人間も創造主の立場で万物を主管することができる主人の権限をもつようにするためであった(創1.28)」。

5.真の父母様の子女だということです。
 (1)キリスト論、イエスと聖霊による霊的重生(P266)
父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントⅠ12.章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒たちは、その愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである。これを霊的重生という。ところが、人間は霊肉共に堕落したので、なお、肉的重生を受けることによって原罪を清算しなければならないのである。イエスは、人間の肉的重生による肉的救いのため、必然的に再臨されるようになるのである。
・祝福を受けた。御父母様が命を捧げて探し戻した子女。
・御子女を犠牲にして愛して来られた。命を懸けて育ててこられた。
・数回の聖酒の恩恵を下さった。

6.神様の子女だということです。
・レビ記27.30、34
「地の十分の一は地の産物であれ、木の実であれ、すべて主のものであって、主に聖なる物である。・・・・これらは主が、シナイ山で、イスラエルの人々のために、モーセに命じられた戒めである。

・マラキ書3.10「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと万軍の主は言われる。」

・み旨の道、基本守則「十一条(十分の一原則)は選ばれた子女たちの基本道理である。神様の数である一数を捧げることによって九数までも捧げたという条件が立てられ、この十の一数は残りの数よりも、もっと貴重に思わねばならない」。

・コリント人への第一の手紙3.16-17
「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである」。
・コリント人への第一の手紙11.3 「しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である」
・コリント人への第一の手紙11.7-9 「男は神の形であり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の栄光である。なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである」。

7.真の主人だということです。
 (1)原理講論、サタン屈服の典型的路程(P347)
⑧復帰摂理の最終の目的は、サタンを完全に滅ぼしてしまうところにある。ゆえに、ヤコブは、偶像を樫(かし)の木の下に埋めたのであり(創35.4)モーセも、金の子牛の偶像をこなごなに砕いて、それを水の上にまき、イスラエル民族に飲ませたのであった(出エ32.20)またイエスは、そのみ言の権能をもって、サタンを屈服させ、この罪悪世界を壊滅させなければならなかったのである。
 (2)天聖経:天一国主人の生活、第4章天一国の民になる道(P2452)
「天一国主人になるということは、孝子になったのちに言う言葉です。孝子の次には、忠臣、聖人、聖子の家庭です。聖子の家庭が真の家庭です。真の家庭になってこそ、天国の主人になるのです。・・・皆さんは孝子にならなければならず、孝婦にならなければならず、それから孝聖にならなければなりません。その次には、純潔、純血、純愛を中心として、家庭基盤の上で神様に対して家庭的孝子にならなければなりません。一人だけではありません。家庭全体が孝子にならなければなりません。そして、孝子忠臣家庭、それから孝子聖人家庭、孝子聖子家庭です。そのような立場で、個人から天宙まで、あの世の天国の王権を受け継ぐことができる王子、王女として、遜色のない主人の代身者とならなければなりません。私たちは、常にそのような訓練をしなければなりません。天一国主人という言葉は、そのような意味です。              
                                    -成城教会長 許漢亮拝-


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[ 2010/02/27 19:55 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)







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