|
2010年8月22日 聖日礼拝説教 「自ら省み、己に鞭打ち、奮い立つ!」
本文のみ言「文鮮明師のみ言:天一国のみ旨の道-苦労(苦生)の章」 ・ うんざりするほど苦労するとしても同情を受けてはならない。もし、同情を受ければ自分を克服したことにならないからである。(14-26) ・ 地獄を味わって見なくては、天国の味が分からない。苦労を味わった人であってこそ、小さな幸せも大きな幸福として感じることができる。(21-190) ・ 現在、働いた代価を受けて喜ぶ人にならず、未来のために苦労する人になりなさい。(43-62) ・ 「私は安楽な道を行きなさい!」と言いたくない。「より苦労する道を行きなさい!」と言うのは、皆さんが福を受けることのできるみ言である。(43-82) ・ 信仰者は、世の苦痛に正面に立ち向かわなければならない。神様が行かれる十字架の道の責任を背負わなければならない。(60-56) ・ いくら苦労して、迫害を受けても変わっては(負けては)ならない。そこで、刺激を受けて、もっと固く(強く)ならなければならないという意味である。(98-15) ・ 不平の心を持たなく感謝の心で、もっと苦労しようとする人が、愛において、ナンバーワンの人間であるし、真の愛を相続することのできる人である。(104-289) ・ 苦労するのは、心を大きくすることであるし、愛する事は、心を美しくすることである。(110-335) ・ 苦労を多くして、精誠を沢山尽くす息子・娘が、父母の全てを相続するのである。(112-197) ・ 苦労の味が分からない人は、人間として生きる味が分からない人である。(143-19) ・ 何故、苦労しなければならないのか?サタンを分立させ、責任分担圏に立つためである。(148-158) ・ 苦難を避けて行く道は天(神側)の行く道ではない。苦難を感受しながら行く道が天の行かれる道である。(152-124)
「試験と試練の章」 ・ 実が結ばれたら、一度、土に入って出て来なければならない。一旦、踏まれて価値のないような存在としての期間を経なければならないのである。(10-302) ・ どのように、純金と偽金(にせきん)を鑑定することができるのか?溶鉱炉に入れて見れば、知ることができる。人の本質も血と汗を流して見れば知ることができる。(14-133) ・ 私自身を苦労の場に追いやって、悲しみの場に追いやって、苦痛の場に追いやらないといけない。その試験と試練というのは、私を苦しめるようだが、それは自分の価値をもっと高める条件になるのである。(66-45) ・ どん底に下りて行きなさい。そのように下りて行って、滅ばずに、抑える力より強い力で、突き上がることのできる底力を持ちなさい!(85-290) ・ 試練と錬鍛(れんだん)、制裁を経て超えるべき峠を越えながら皮を脱がなければならない。コブラは一生の間、8回も皮を脱ぐのである。皮を脱がなければ、大変な事になる。(374-320)
(※「天一国のみ旨の道」の日本語訳本はまだ、出てないです。不明な所は成城教会までお願い致します) にほんブログ村
スポンサーサイト
| HOME |
次ページ ≫
|
|
|