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1/30、成城統一教会礼拝説教、「変化と発展は私から!」

1月30日の成城統一教会礼拝説教は、「変化と発展は私から!」で語りました。

※本文のみ言:「み旨の道-人格の章」
・自ら、自分の人格を崇拝できる人となりなさい。万物に対しても、恥ずかしくなく、崇拝を受ける感じがなければならない。
 :自分を愛し、自分への自負心を持ち、自分の良さを尊敬した後に、崇める段階まで上がって行くのである。
  万物を大切に扱うこと、愛することは人生の中の基本であろう。万物にも心がある。大切にすれば、必ず、万物がついてくる。

・人格者とは、自分のことを早く済ませて、他人のことをまず考える人のことを言うのである。
 :人格者になるためには、何でも素早く行動できる、人にならねばならない。人に世話にかけられる人になるのではなく、他人を助けてあげれる人にならねばならない。

・人を判断するには、三年以上研究しなさい。
 :たまに、「あの方は霊的だ、血液型が○型だ」とかを聞く場合があるが、人を判断するには、せめて3年間は研究しなさいと言う、文師のみ言である。儒教の教えの中にも、「人の心は朝夕に変わる」とある。人を真に判断するには、自分の心が、平常心を保たないといけない。

・120名の心に合わせることができて初めて、イエス様の家族の中に加わることができるのである。
 :人には大きく12ヶ月性格の12型が居ると言われる。多くの人と心情の交流をして、摩擦なく性格が合わなければならない。イエスが家族がいるようでいなかった。孤独な心境のイエスであられた。イエスの最後の十字架の道には、誰も居なかった。悲しみのイエスであられた。統一教会での、「食口」という名詞は、イエスの家族になって差し上げる意味である。十字架の死の場まで、一緒に同参するという意味である。

・美しいものは単色ではない。多くの曲折をもってこそ、人生は豊になる。
 :感動的なドラマは、主人公の苦労、どん底、失敗からの逆転のドラマである。統一教会は、多くの苦労がある。しかし、山あり谷ありで、すべてを乗り越えていく中で、感動のドラマが演出されてくるのである。

・人間は神様の実体である。ゆえに、神様は私を通して喜ばれる。しかし、私が、ねたみ、嫉妬、驕慢のような堕落性によって欠陥のある実体だとすれば、どうして神様が私を通して喜ぶことができようか。
 :偉大なみ言である。神様は、私に現れたいのである。私が、神の愛と真理の実体になるのは、人生の究極である。

・天宙はあなたの材料。大きくて広いけれども、あなたの心の中に出入りする。
 :これも偉大なみ言である。我々の呼吸を通して、宇宙と霊界が私に出入りしているのである。心を大きく持って、生きて行くべきである。

・麹は和合の原料である。全体を溶かすことのできる麹になりなさい。
 :絶対価値は、統一・和合である。麹は自分が腐るのである。和合をもたらすためには、自分があってはいけない。色んな、苦しみを味合わないといけない。私が死んでこそ、人の心に入ることができるのである。我々は、どこに所属されても、人々の間で和をもたらす者になろう。

・堕落人間の最後の目的は、神様が本来の創造目的としてくださった自我の自主性、尊厳性、および価値性を回復することである。
 :人生の目的は、自ら進めて行ける主体性を持ち、自我への尊敬、他者への尊敬心と自分の価値を高めるところにある。

・人格者は、見て聞いて行う人である。善を中心として見て聞いたことを行うことができないとき、悪主権内に立つしかない。生涯において善なる結果を残すことができなければ、これまた負債を負った者である。
 :的確なみ言である。人格者は、直ぐ行う人である。我々は、素晴らしいみ言は沢山聞き読むけれど、行いが非常に乏しい。行いのない信仰は死の信仰であるとイエスも言われた。神側の行いが無ければ、サタン主管に属するようになる。行いが足りなければ、どんどん負債が積もって行くのである。公職者こそ、心情の負債を負い易い立場である。公務者の家庭が、もっと悪くなる場合もある。宗教人の本分(布教、修行、謙虚)に徹するべきである。



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[ 2011/01/30 18:18 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)







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