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「真の愛を所有できる道」-2012/07/29、台東教会説教

本文:天聖経「真の愛の中で」
「愛を通じて生きる時、人間世界には幸福が始まります。人間自身が成そうとする完成の実現は、愛の基準を離れてはあり得ません。ですから宇宙万物は、愛を基礎にして生きていくのです。創造されたすべての万物は、神様の根源の愛を中心として始まりました。」(365P)
「愛はどこから出てくるのでしょうか。私から出てくるのではなく、相対から出てくるので、私が頭を下げて、相対のために生きなければなりません。」(369P)

今日は「真の愛を所有する道」という題目でお話したいと思います。
私たちは、信仰路程を行くにおいて色んな場面で「あー!私は相当愛が足りない者だな!」と気付く時がしばしばあります。私はどうすれば、より愛ある人それも真の愛を所有する人間になれるでしょうか。

一番目は、「万物を真に愛し、大切にできる者」になることです。我々は毎日、万物の環境に接しています。神様の愛の感性は先ず、万物にあからさま現れています。故に、万物を真に愛し、大切にできる人は神様の愛の世界に通じるようになります。

二番目は、「身を低めた奉仕と影の善を喜ぶ者」になることです。神の愛は高い所にあるのではなく、低いところにあるのです。仕えられる所にあるのではなく、仕える所にあるし、善行を現すより影で喜ぶところに現われるのです。

三番目は、「どこでも、誰からでも学べる者」になることです。神様は私の完成のためにあらゆる出会いと環境を準備しておられます。どこでも謙虚な姿勢で学ぼうとする人には神様が人と環境を通して、新しい経験と諭しをくださるのです。

四番目は、「常に感謝の生活ができる者」になることです。感謝できそうでない状況で、常に感謝するように心懸けるのはそう簡単なことではありません。悪い状況でどうすれば感謝できるのでしょうか。それは、今より悪い所、下の基準に比べることです。そして、自分をできれば下の位置に置いて、評価するのです。

五番目は、「親(父母)に感謝・尊敬できる者」になることです。我々の信仰路程の中で、肉身の親への感謝と尊敬が減ってしまい勝ちです。さらには、親へ不満を持ったり無視したりしやすいのもあります。先ずは、生んで下さったことに感謝し、私をここまで育てて下さったことを常に感謝の念を持つべきです。そこに、神の愛が下りてきます。神様は親だからです。

六番目は、「子女を愛し切って、親より立派に育てる者」になることです。子を育てて見て親の苦労が分かるものですが、子供を愛し切ることがそう簡単なことではありません。ましてや、神の子として育てることもそう簡単なことではありません。しかし、私たちは神の愛、真の父母の愛を学ぶ者たちです。故に、私たちの親より以上、自分の子を愛し切って、立派に育ててこそ、神の愛が注がれるでしょう。

七番目は、「研究熱心で人を良く教えができる者」になることです。神様は科学の神様でもあられます。物事の原理、原則はどうなっているのか、常に探究心と研究心を持つことです。そして、祖父母が孫に愛情で教えるように、知らない人を愛の心で育んで教えることは神の喜びと愛に通じる道です。

八番目は、「人に思いやりを施せる者」になることです。神の愛は隣人を愛するところに現われます。神様は愛し一つになるところに現われます。常に慈しみの心で人を思いやる人は
神様が近寄ってくださるのです。

九番目は、「不義に向かって闘える者」になることです。神は正義であられ、不義を嫌がる方であります。不義なることに対して問題意識を持って闘う者には正義の神様から守られます。

十番目は、「切歯腹心の思いで勝つため奮闘努力する者」になることです。神の子に負けはあり得ません。神様の勝利への予定は絶対的なので我々は、何らかの基準で勝利するために、必死に努力しなければなりません。神の愛は、諦めず続けて努力する所で現れるものです。

十二番目は、「無限大の夢を所有した者」になることです。神様の夢は、遠大であり壮大であります。故に、我々の夢の限りなく大きい所にあるべきです。神様の愛は熱いものです。愛は熱い情熱のようなものであって、氷にように冷めた状態ではありません。

十三番目は、「捧げることを常に喜べる者」になることです。純真な心で天の前に捧げることを喜ぶ人は、自ずと心に神の愛が注がれてきます。

十五番目は、「配偶者を実母以上に愛で育める者」になることです。祝福結婚は素晴らしい理想ですが、実際は予想外れも多いのです。結婚は、私自らが足りない部分を補って、いち早く人格完成、個性完成の基準を持って、相手を深く配慮できる者にならなければなりません。

十六番目は、「可哀想な人のために切なく祈れる者」になることです。神様は万民の親であられます。飢え苦しむ人を見ると胸が痛いのです。思いやり慈しめる人は愛が泉のように愛が湧いて来るのです。


十七番目は、「赦すことのできる度胸のある」になることです。人生を生きて行く中には、赦し固い場面に会うこともあります。人間の過ちは未成長の故に起こるものです。人は愛されないと完成の道がありません。人間は家庭で足りなかったことを社会の中で補われてこそ完成に至るものです。赦すことは愛することです。神様は人間の成長・完成を待ち続ける方です。何度も騙されながらも・・・。

十八番目は、「罪を真に悔い改め、涙で贖罪の道を行く者」になることです。人生の中で、心と行動で思わず罪を犯すことがあり得るでしょう。そした場合には、心から涙で悔い改めるのです。そして、率直に償いの道を行くのです。そこは、まだ、神主管圏ではないでしょうが、その期間を通過すると神の愛を体験できる道に入るのです。

十九番目は、「祖先の罪を神様に涙して祈れる者」になることです。文鮮明師は、人類歴史の中での先祖たちの罪を赦してくださいと涙で神様に祈られました。正に、人類の聖子の姿なのです。私たちも、「過去自分の先祖、民族の先祖の罪を赦してください、自分が全てを背負って行きます」と祈る所により大きな神の愛が訪れてくるのです。

二十番目は、「真理のみ言をご飯より愛する者」になることです。肉身生活で衣食住は欠かせないものでしょうが、毎日頂く「食物」よりも真理のみ言を頂くことを先に思える人は、肉身に制限された愛ではなく、時空を超越したより大きな愛に接することができるのです。

二十一番目は、「真のご父母様のために生きる者」になることです。真の父母は人類歴史の中での神様の願望でありました。ゆえに、真の愛を完成した真の父母が現されたので神様は一番大切にされます。真の父母を通して、真の愛の完成の道に進みゆくことができるのです。真の父母のために忠孝を尽すことは真の愛を所有できる近道なのです。

二十二番目は、「絶対性の価値を生命視する者」になることです。真の愛は、サタンの偽りの愛が介入しない所で始まります。汚れた自己中心的愛では、「相手のために与えて忘れよう」とする、真の愛は生まれてこないのです。純潔と貞操を命をかけて守る人が、真の愛を所有することができるのです。

二十三番目は、「地上での勝利より死後の勝利を描ける者」になることです。ある面、人格完成、心情完成の道は、自分一代で成せないかものかも知れません。しかし、息子、孫のために、地上で現れる価値がなくても、続けて善を積み重ね、精誠を尽しながら歩んで行くべきなのです。善の歩みを積み重ねれば、霊人体が心情完成を成して、霊界に入門するようになるでしょう。

以上の23項目のことに心懸けて行けば、私たちはいつの間にか「真の愛を所有した者」になるでしょう。


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[ 2012/09/11 10:26 ] 台東教会紹介 | TB(0) | CM(0)







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