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9/12、成城統一教会の説教「生活力、愛力、感化力」

2010年9月12日、成城教会礼拝説教「生活力、愛力、感化力」

※ 本文のみ言「天運を呼ぶ生活:節約、万物主管」
・ 命懸けでやれば何でもできるのです。「一円でも節約して公的なもののために使おう」。私がこのような思想を持っていたので、今日の基盤を築くことができたのです。
・ 浪費してはいけません。皆さんは副食にするものを買ってきて、冷蔵庫に入れて、いつとはなしに出し入れしていますが、それではいけないのです。食べる時にだけ食べなければなりません。食べる時以外に食べる習慣は捨てなければなりません。それは健康にも悪いのです。
・ 生活から整理しなければなりません。原理が生活哲学であることを知らなければなりません。原理的な基準を中心として、主体、対象という概念を中心に常に考えながら、宇宙の秩序に歩調を合わせることのできる生活方式を取るべきなのです。

※「天一国のみ旨の道:信仰生活、祈祷」
・ 信仰生活をする人は、地の上のある希望を抱いて生きるのではなく、死までも超えることのできる希望、永遠な希望の世界を夢見ながら生活しなければならない。(6-46)
・ 信仰生活の中で自信をもってはいけない。自信を持つ人は愚かな人である。神様が共にしておられると言うところで自信を持ちなさい。(58-301)
・ どのくらい最善を尽くしたのか、どのくらい精誠と生命を投入したのかと言う問題が、その人の価値基準を左右する。(63-28)
・ 十回倒れても十回、立ち上がることが出来る人にならなければならない。粘りが強い人、また忍耐力の強い人が残れるのである。(76-315)
・ 人は昼のように明るくて喜ぶ時、天が教えてくれるのである。ゆえに、人は明朗でなければならないし、いつも感謝して、何でも気持ち悪い事があっても早く忘れてしまわなければならない。(91-272)
・ すべての問題は、自分にある。他人にあるのではない。故に、まず自分の問題を解決しなければならない。自分の問題を解決できてこそ、他人を助けることができる。(122-196)
・ 祈祷というのは、心と体を神様の前に捧げることである。物質を神様の前に捧げるのではなく、私の心と体を完全に神様の前に捧げるための精誠の時間が祈祷の時間である。(28-25)
・ 悔い改めの体験をしなければ、神様の息子娘になることができない。その悔い改めの体験が生れ変わる重生である。
・ 罪があって誤ったことが多いという悔い改めの涙より、愛することが出来なかったという悔い改めの涙をより多く流さなければならない。(95-271)
・ 伝道するに置いて原理のみ言だけではいけない。模範的な生活を行動で見せてあげないといけない。
・ 伝道は人を好む習慣である。人を好む習慣をつけなさい。嫌でも好きにならなければならない。それが訓練である。(118-116)


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[ 2010/09/13 18:51 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

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