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10/9/26,成城統一教会礼拝説教、「祝福伝授の勝利のため」

2010年9月26日聖日礼拝説教、「祝福伝授の勝利のため」

本文のみ言。「天一国時代のみ旨の道-天国、霊界」

・ 誰であろうが、心に負債になって、実際生活でも負債になる人は天国に入れない。そのような人は僕でしかなれない。頭(こうべ)を垂れて生きないといけない。主人になることができない。(133-142)
・ 天国に入れる人は、神様を愛する人であるし、人類を愛する人であるし、万物を愛する人である。のみならず、人類から愛され、万物から愛されることのできる人である。(169-84)
・ 愛の道理は、ために生きることである。霊界に行けば、地上でために生きた人たちが高い天国に行っている。(187-101)
・ 愛を中心として構想して創造する能力が豊富な人は、あの世に行って幸福の大王になる。あの世では、そのような人が、最高のものを見ることができるし、最高のものを聞くことができるし、最高のものを創ることができるし、最高のものを味わうことができるし、最高のものを着ることができるし、最高の所で暮らすことができるのである。(202-28)
・ あの世に行って、苦心することは「地上生活で、私が誰かを愛することが出来なかったことである」。父母を愛することが出来なくて、兄弟を愛することが出来なくて、妻子を愛することが出来なくて、師を愛することが出来なくて、民を愛することが出来なくて、王を愛することが出来なくて、天の父母と地の父母を愛することが出来なかったことである。人類を愛することが出来なかったことが嘆息のことになる。(214-199)
・ 霊界では何を持って感動するのかと言えば、それは愛である。どのくらい人類を愛し、神様が愛を中心として創って下さった被造物を対する時に神様のように愛したかというのが測定の基準である。(216-171)
・ 霊界は膨大で、3段階になっている。最高の所に上がる人たちは「他者のために生きた人たち」である。しかし、自分のために生きた人は反対の立場に立つようになる。霊界に行っていれば、自分の父母、自分の妻も関係ない。高い所には、他者のために生きた人たちが行くのである。(297-268)
・ 天の国には習慣的な伝統と言うものはない。「真の愛を中心とした伝統と習慣」があるのであって自分を中心とした愛や、自己欲を中心としたものはない。(340-207)



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[ 2010/09/27 18:04 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

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