スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

3/6、成城統一教会の説教「愛天、愛人、愛国の道を行こう!」

2011年3月6日(天暦2月2日)の成城教会での礼拝では、「愛天、愛人、愛国の道を行こう!」の題で語りました。3・3大会のまとめ報告、聖書の著者について、天福函の摂理的意義、会議でのみ言などを報告しながら、進めました。参加してくださった、食口の皆様に感謝もうしあげます。

・本文:天聖経「真の神様の祖国光復:天宙は私の故郷と祖国」
「真の愛は投入する力です。与える力であって、受けることのみをする力ではありません。すべてを与え、零点(ゼロポイント)の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には何が入ってきてもOKです。それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重され永続することによって、永遠なる均衡がなされるのです。それゆえ、真の愛を中心に「ため」に生きる世界は、授受作用を通して完成されるのです」。(P2239)

「神様は宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして完全投入することを言います。このように投入しては忘れ、投入して忘れ、最後には自分という概念まですべてなくなるゼロ・ポイントになるのです。愛を否定されてももっと愛し、投入してももっと投入してこそ、恩讐を真の愛で自然屈服させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んでこられ、天地父母がそのような道を歩んできたのです。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でもおじいさんおばあさんなど、十人の家族が暮らすとしても、最も「他のため」に生きる者が家庭の中心となるのです。国において、愛国者も同様です。投入して忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです」。(P2242)



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
[ 2011/03/11 06:11 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://seijoch.blog34.fc2.com/tb.php/141-0c6a746c









上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。