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2009年9月27日聖日礼拝、「真の愛を中心とした再創造」 

1. 聖書 : ヨハネの第一の手紙4.7-9
  「愛する者たちよ。私たちは互いに愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生まれた者であって、神を知っている。愛さない者は、神を知らない。神は愛である。神はその一人子を世につかわし、彼によって私たちを生きるようにして下さった。それによって、私たちに対する神の愛が明らかにされたのである」。(著者:使徒ヨハネ、ヨハネによる福音記録の後、AD90年頃)

2. 天聖経:宇宙の根本
「原理の総論は、神様に対してどのように表現しましたか。神様は、二性性相の中和的主体であると同時に愛的主体です。「愛」というこの言葉を入れなければなりません。それを必ず入れなければなりません」。(P1721)

「原理を見れば、神様が二性性相の中和的存在だというでしょう。中和的立場で愛を中心とした統一的存在だという話はまだしていなかったのです。そこに、愛を中心として統一的存在だということを添付しなければなりません。・・・原理講論に‘真の愛の起源’という言葉を入れなければなりません。『真の愛の起源は神様だ』という言葉を入れなければならないというのです」。(P1722)

「宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されています」。(P1727)

「ところで、愛は心情の流れです。内的な心情が外的に流れるものが愛です。ゆえに、神様の本質は、心情です。・・・心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が展開するためです」。(P1728)

「神様が自分自身だけを考えたとするなら天地創造をされたでしょうか。創造とは、力の投入をいうのです。芸術家は、最高の傑作品をつくることが願いです。芸術家は、最高の傑作品をつくるためにあらゆる精誠を投入します。すべて投入するところにおいてのみ完全な傑作品が出てきます。これ以上できないという時に、初めて傑作品が生まれます」。(P1729)

先ほど読んだ聖書は約2千年前の、使徒ヨハネの愛に対する聖句です。キリスト教では、愛の使徒と言われていますが、2千年前の記録が、今の我々が読んでも、感動的であるというのは、
新約使徒の天に対する心情の基準がどれ程だったかを示すものだと思います。

今まで、原理講論では「神様は本性相と本形状との二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性の二性性相の中和的主体としておられる」と学びましたが、天聖経「宇宙の根本」のみ言では、「神様は真の愛による本性相と本形状中和統一体である」と説明しておられます。
そして、「愛は心情の流れ。内的な心情が外的に流れるものが愛。ゆえに、神様の本質は、心情。・・・心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が展開される」とあります。

統一思想によりますと、神の創造の動機は心情にあったといいます。「心情は喜ばせたくて仕方がない心の衝動」であります。人に何か良いことをしてあげたくて黙らない気持ち・心こそ、総てのことの動機であるべきです。しかし、長年歩んでくる中で、我々の中に「・・・ねばならない。使命感、義務感」になってしまっている部分が多いのも事実です。

「どうすれば、自らの心情の動機から、自発的に信仰生活、み旨の拡大ができるか?」
これが、我々統一信徒の最大の課題だと思います。

聖書・み言にありますように、神の本質・真の御父母様の本質・この道の本質・人生の本質は「愛の心情を深め、拡散していく」所にあります。それも、真の愛であります。お父様は、心身統一は「神様の真の愛によらなくては出来ない」と言われました。

愛の感性を深めるための方案を考えて見たいと思います。

一番は、声を出してみ言の訓読することです。朝、早く起きて、み言を空中に広げると、空中にいる多くの霊が聞くので、家庭・身の回りが清くなって、邪心が分別され霊感性が高まるのです。また、深く訓読して行く中で、お父様が体験された、神様の心情を深く体恤がすることができるのです。

二番は、唱和祈祷です。家族や伝道対象者の名前を唱和しながら祈るのです。それも、祈りの対象者がまだ、起きていない時間に「名前を空間に響かせながら、その人の健康、将来、幸せ」のために祈る生活をすると、愛情薄かった子供に深い愛情が出てきて、子供が素直になったり、久しぶりに会う人でも、深い愛が込みあがって来るようになるのです。

三番は、家の中の掃除、外のゴミ拾いをすることです。掃除は、万物を愛することです。「起きたら、布団を綺麗に畳んで入れる。父親自ら、トイレ掃除を常にする。母親は、台所を常に綺麗にする。子供には玄関先を担当してもらう。生徒には机の上、カバン等を常に整理整頓に心かけてもらう」のです。綺麗な環境に善霊が宿り、汚い環境では幾ら天運石があっても、絶対善霊が役事しづらいのです。そして、次はために生きる実践のために、外のゴミ拾いをするのです。私が、綺麗にした道を人が歩くと、気持ちが良くなります。環境が自分の身の一部になったような気持ちを感ずるようになります。

四番は、自分より愛の世界が深い人と付き合うことです。人には知識は足りなくても、温和な愛を持っている人がいます。裁きの多い人を良くあうと、いつの間にか、自分もそこに染まります。授受作用する人も選んですべきです。親兄弟からだっぷり愛された人は、優しさ・暖かさを持っています。心優しいお年寄り、アベル的・信仰的友・先輩・責任者に会うことです。

五番は、反対される環境を積極的に訪ねていくことです。我々は、統一の信者です。信者の一番の役目は、真理と愛を伝える所にあります。ここで、重要なことは、「強要されてやるのではなく、喜びの心で行うこと」です。真理に出会った喜び、真の御父母様に出会った喜び、統一信仰をやって来て良かった喜び、日々の感謝と喜び、この社会にこの教えが必ず必要であるという確信を伝えたいという信念で臨むべきです。まだ、有り難くも、統一教会と言い出すと、冷たい反応が結構あります。しかし、これは当然なことです。歴史の中で、どの宗教が最初から歓迎されたでしょうか。反対、理解してもらえないのは当たり前のことです。一軒一軒回りながら、真心で表札を見ながら、その家の幸せ・健康を祈ってあげるのです。親切に対応して下さった方には、心からの感謝の気持ちで、少々固かった方にも、笑顔で優しく挨拶して、祈る心で下がるのです。

 神の愛は迫害される中で育てられていくものです。言うまでもなく、我々の神の愛の世界は、開拓伝道の場で高まって行くものです。外で、冷遇され、無視されてこそ、内部の食口が大切に見え、家族も愛することが出来るようになります。

 「敵は自分の中にあり」と言いますが、我々の敵は、自分の心の中にあります。上記の内容を日々、心かけていくと、愛の心情が芽生えてきて、家庭で、人間関係で、社会で、人と会う時に、今までより深い愛で接することができ、神を動機にした真の愛を所有した自分による、再創造の道を行くことができるのです。

 一週間、食口の皆様の前進を祈ります。  
                                  ―成城教会長拝―


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[ 2009/10/03 14:01 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

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