スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

統一教会の説教、「真の愛と真理の代行者!」、10/25

1. 聖書
・ヨハネによる福音書8.32(著者:使徒ヨハネ、記録年代:AD85年~90年頃、記録場所:エベソ)
「また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。
・ミカ書6.6-8(著者:ミカ、記録:B.C742~687年頃、記録場所:ユダヤ)
「私は何をもって主のみ前に行き、高き神を拝すべきか。燔祭(はんさい)及び当歳の子牛をもってそのみ前に行くべきか。主は数千の雄羊、万流の油を喜ばれるだろうか。わが咎のためにわが長子を捧ぐべきか。わが魂の罪のためにわが身の子を捧ぐべきか。人よ、彼は先に良いことなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、謙って(へりくだって)あなたの神と共に歩むことではないか」

2.文鮮明先生のみ言:「天聖経:真の愛-第2章愛の実際:愛の目的は、神人愛一体理想
「私たち人間は、神様が造った創造的な傑作品として神様に似ています。神様が永遠であられるので、私たちも永遠の性稟(せいひん)もたなければならないので、私たちの心は、年を取らないのです。人は、永生しなければならず、永生してこそ傑作品の存在的価値をもつことができるのです。ですから人間は、万物の霊長になるのです。
 神様の愛は、神様の愛だけで終わりません。その愛は必ず、人間によって横的に広がります。電気のプラスとマイナスがやり取りすれば、反応する極ができます。そのようなものが他の所でまた展開します。このように神様の愛は、横的に広がってきます」(390P)

・前半部、堕落論講義「罪の根は人間始祖の不倫なる愛から始まった、その悪の主体がサタン、サタンは本来、天使長である。サタンはこの世の君、この世の神として、働いてきた。堕落によって、人間には悪い堕落性本姓(愛せない、血気、分限が分からない、秩序の守らない、責任転嫁等)が生じた。神は創造原理の絶対性を守るため、人間を万物の主管主としてたてるため、人間の堕落行為を干渉できなかった」。

人類歴史の終末論講義:「歴史始原者は神様である。歴史出発の目的は、地上天国建設にあった。サタンによる人間堕落で地上地獄になった。人類歴史は地上地獄を地上天国へ復帰していく摂理歴史である。終末は、サタン中心の悪主権世界が、神中心の善主権の世界に変わっていく時を意味する。歴史の中で、ノア、イエス、再臨イエスの時は終末であった。歴史の方向は一つの統一世界に向かっている。4大文化圏がキリスト教文化圏に吸収されつつある。政治世界は、世界政府の方向に、経済体制は共同市場体制に変わりつつある。今は正に終末である。個人の心霊基準が高まり、本然の自由を求める動きが高まっている。隣人・隣国への愛が広くなり、人道主義の動きが広くなっている。科学の発達による、交通・通信の発達によって、世界は地球村・一つの世界に結ばれつつある。結論的に、今の世界は一つの平和理想世界に向かいつつある」。

今日は、「真の愛と真理の代行者」という題目で、お話したいと思います。
先ず、聖書に真理があなた達を自由にさせるとあります。我々は、原理を聞きました。我々の日々の歩みの中で、原理・真理に出会った喜びと、解放感がどれ位あるかが問題です。聖書には神を知ることが知識の根本であると書かれています。先ず、神の存在を知り、堕落の原因、歴史の始原・終末、存在世界の根本原則、宗教・科学世界の目的、現実問題の打開方法等を知って、それを現実生活に応用・適用して行けば、楽しみが増えていくものであります。み言に、無知からの完成はあり得ないとあります。知ることによって、我々は完成に至ることができるのであります。

この度、10.14の「天宙的な祝福式」が行われました。天も喜び、地も万民が喜ぶ式典でありました。祝福式典の最後の、前アバニア大統領の祝辞は、まるで子供が親に親しく、述べるような素晴らしい祝辞でありました。遠い東ユーロッパで、真の御父母様とそんなに縁がある筈もないのに、我々食口以上の証をした訳であります。朴正熙元大統領の次女夫婦も心込めた感想を述べてくれました。一言で、今回の祝福式を通して、天宙的な真の愛が、万民に注がれたのであります。数次に渡り、教会・訪問で祝福式を行っていますが、参加者皆が喜ばれ、心霊の喜び溢れる祝福式であります。
 我々は祝福式を通して、神様から、真の御父母様から、限りない真の愛を相続されました。最近、お父様の自叙伝を読むと、真のお父様は自然万物から神様の愛を常に感じておられます。私たちも、何か時たまの厳かな場だけではなく、常に近くの自然から、はちや花から、空気を吸いながら神の愛を感じることができれば、どれほど素晴らしいかと思います。全食口が神の愛を感じながら、原理で武装し、人々に真の愛を実践していけば、どういう方も導くことができるものです。

神の愛が我々の真の愛を通して、人々に伝えられて、真理のみ言も我々を通して解かれ、人々に分かりやすく伝えられる時、人々は素晴らしい喜びを味わうことができるようになります。そうなると、我々は人々に真の自由と解放と喜びを与える人になるのです。そういう、自分を描きながら歩む一週間になりますよう祈ります。 ―成城教会長拝―



ランキング参加中!
  One Click!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
[ 2009/10/24 22:05 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://seijoch.blog34.fc2.com/tb.php/45-ce6c4933









上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。