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11/1、成城統一教会の説教:「神人愛一体理想」

1.聖書、「ヨハネによる福音書14.11-12」
「私が父におり、父が私におられることを信じなさい。もしそれが、信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。よくよくあなたがたに言っておく。私を信ずる者は、また私のしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。私が父のみもとに行くからである」。

2.文鮮明自叙伝、「草むらの虫と交わす宇宙の話」
「韓国と米国、さらには北朝鮮で何度か監獄に入っても、他の人のように寂しいとかつらいとか思わなかったのも、すべてその場所で風の音を聞くことができ、共に暮らす虫たちと会話を交わすことができたからです。

 虫たちと一体どんな話をするんだ!」と疑うこともできますが、ちっぽけな砂粒一つにも世の中の道理が入っており、空気中に浮かぶ埃一つにも広大無辺な宇宙の調和が入っています。私たちの周りに存在するすべてのものは、想像できないほどの複合的な力が結び付いて生まれているのです。また、その力は密接に連関して相互につながっています。大宇宙のあらゆる存在物は一つとして神の心情の外で生まれたものはありません。木の葉一枚揺れることにも宇宙の息遣いが宿っています。

 私は幼い頃から山や野原飛び回って、自然の音と交感する貴重な能力を与えられました。自然はあらゆる要素が一つのハーモニーをなして、偉大で美しい音を作り出します。誰一人として排除したり無視したりせず、どんな人でも受け入れて調和をもたらすのです。自然は、私が困難にぶつかるたびに私を慰めてくれたし、絶望して倒れるごとに私を奪い立たせました。大都市に生きる最近の子供は自然と親しむ機会すらありませんが、感性を教え育むことは知識を養うことより重要です。自然を感じる心がなく、感性が乾いた子供であるならば、誰が教育したところで何が変わるでしょうか。せいぜい世間に広まった知識を積み上げて個人主義者になるだけです。そんな教育では、物質を崇拝する唯物論者ばかりを作り出すことになってしまいます。
 
春の雨はぽつぽつ降り、秋の雨はぱらぱら降る、その違いを感じることができなければなりません。自然との交感を楽しめる人であってこそ正しい人格が身に付くと言えます。道端に咲いたタンポポ一本が天下の黄金よりも貴いのです。自然を愛し、人を愛することのできる心を備えておくべきです。自然も、人も愛せない人は、神を愛することはできません。神が創造された万物は神ご自身を表す象徴的な存在であり、人は神に似た実体的な存在です。万物を愛することのできる人だけが神を愛することができます。(P50~52)

今日は、「神人愛一体理想」という題目で、申し上げようと思います。
原理によりますと、神様のもっとも大きな願いは、人間の体を通して現れることでした。故に、アダム・エバが完成できたら、神様はアダム・エバの体を被って現れたかったのです。それのために、4千年間も待ってこられ、やっと一人子イエスを送って下さり、イエスに顕現されたのです。

 ロマ人への手紙8:20-22節には、被造物が嘆息しながら苦痛の中にいるとあります。人間の堕落によって、霊的感性が鈍くなり、自然万物に対する感性を失ってしまいました。神の愛は、自然万物を通して表されています。太陽の日差しや風が吹く時に、神の愛と息遣いを感じることができます。どの宗教でも、愛が最高の徳目になっています。その話は、神の本質が愛であるという意味です。人間生活において、何が一番重要かと考える時に、望み・信仰・知識・物質等を上げられるでしょうが、やはり一番重要なのは‘愛’ではないでしょうか。
 
 有名な人々の中には、この世界を見る限りは、「神はいない」と断言する人もいます。しかし、そういう人は、霊的感性が鈍く、知識だけでものことを判断しようとする人です。神(霊)の存在は、知る次元ではなく感ずる次元です。例えば、カトリックの有名な修道者であった、聖フランシスコは‘鳥と会話ができた’と言われます。

 最近は、インドのヨーガ、仏教の瞑想・禅、心理学の自己暗示等が世界的に流行っています。
企業やスポーツの世界では、こういうのを取り入れて沢山活用しています。それで、多くの効果も現れるのです。日本の諺にも、「男は度胸、女は愛嬌!」とあります。人間は、誰しも心の器を大きくしたい、美しくなりたい心があります。いずれ、人間は限られた存在です。人間の心は、山や海、他の地方・国を旅行した時に広くなり、多くの人との人間関係の中で、心の幅が広くなって行きます。自然は、神の創造の現しであります。

 先ずは、空気と通して、日差しを通して、或いは深い祈りを通して、神を感じるのが重要なことです。文鮮明師は、「神は人格的な神、即ち人類の父母である」と説かれます。我々の心の永遠の父は神様だということです。故に、沢山祈り、奉仕実践をすれば、心に安らぎと愛を深く感じるようになります。一言で、「よりために生きれば!」人々から、自然万物世界から、神様から多くの愛を授かることができるという話です。

 これから、深い呼吸を通して宇宙に充満した気(エネルギ)を取り入れ、深い祈りで神霊世界に接し、お経(原理)を唱えで言霊を広げていけば、我々は肉身の健康体と、神霊の感性の優れた存在になり、人々を真の平和と幸福の世界に導いて上げることができるでしょう!

 人間の願いは、平和と統一と幸福の存在になる事であるし、神の願いも平和な個人・家庭・国家・世界に現れることであります。究極的には、神と我々人間が永遠の真の愛で一つになることによって、神の理想と愛が私に入ってきて、私は神の理想と愛の実現のために存在するという概念が成立するようになります。

 新しい11月を迎えて、皆が宇宙の大生命力に満ち溢れ、地上天国建設への理想をもって、意欲的に前進する月になりますよう祈ります。
                              ―成城教会長拝―



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[ 2009/11/02 18:15 ] 礼拝説教 | TB(0) | CM(0)

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